寺山修司

少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。Hungry Youngmen(腹のへった若者たち)は Angry Youngmen(怒れる若者たち)にはなれないと知ったのである。 そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。 だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。 ** 「去りゆく一切は、比喩にすぎない」とオスワルト・シュペングラーは歴史主義への批判をぶちまけている。たしかに、過ぎ去ってしまった時は比喩、それを支えている言葉もまた実存ではないと言うことができるだろう。 だが、言葉の実存こそ名言の条件なのである。「名言」は、言葉の年齢とは関係ない。それは決して、年老いた言葉を大切にせよということではなく、むしろその逆である。老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。 私は、そこに賭けるために詩人になったのである。言葉はいつまでも、一つの母国である。魂の連帯を信じないものたちにとっても、言葉によるつながりだけは、どうかして信じられないものだろうか? ** 名台詞は、どこにでも転がっている。 それは、たとえば長屋のおかみさんの身の上話や、競馬場の雑踏の中の人生相談。そしてまた、映画館の中の暗闇。「ほんとうは、名台詞などというものは生み出すものではなくて、探し出すものなのである」 少年時代、私は映画館の屋根裏で生活していた。その頃の私の話相手はスクリーンの中の登場人物しかいなかった。孤独だった私は、映画の中の話相手の言葉から人生を学んだ。それからというもの、映画を観るたのしみは、いわば「言葉の宝さがし」に変ったのである。